受給者証
もっと前から利用したいとは思っていたのですが、なぁなぁにしてきて、先日やっと受給者証の申請に行って来ました。
受給者証とは正確には障害福祉サービス受給者証といい、児童発達支援などを行っているスクールにお安く通えるようになるんです。
今は市の療育のみで、月に2~3回。集団のみ。
今回通おうとしているスクールは個別療育で最大週に5回通える。
今まで読んだ本には療育は個別が良いと書いてあったので今回のところに決めました。
見学、体験をさせてもらい、先生の双子1への対応、それに対する双子1の反応をみせてもらいました。双子1はとても嬉しそうで、先生も付きっきりで1から10まで声掛けなどをしてくれていたので、この先少しでも伸びてくれるといいなぁと思いました。
それでも腹は減る。
長男が生まれて二学年差で兄弟を望んだのは私だが、まさか双子とは思わず、(しかも♂♂)双子ですって言われた時には手放しには喜べなかった。
なぜ、、、。なんで、、、。
妊娠、出産自体、何事もなく普通に生活して普通に産める事って奇跡だと思う。
何かしらを抱えながら、予定日までドキドキしながらみんな過ごしている。
それが双子となるとさらに危険で、予定日まで持たせることもなかなか難しい。
始め、双子だとなかなか受け入れられなかった私ですが、徐々に大きくなるお腹と共に、37週までなんとかお腹の中で育って欲しい。大きくなってほしい。
それだけ願っていました。
38週で自然分娩で生まれて来てくれた双子たち。
生まれて来てくれてありがとう。本当にそう思いました。
そんな。
双子の一人に発達障害が発覚。
借りてきた本を読み終え、あまりの衝撃と“障害”と何度も出てくるワードに本当にショックでした。病気ではなく障害だから一生治らない。
今まで生きてきた中で一番精神的にやられた時期でした。
掃除洗濯炊事、三人の子育てをしなければならないのに、頭が働かない。
ため息ばかり。
涙ばかり。
そんな中でも腹は減ったんです。
私、強ぇな。
こんな精神状態でもお腹はグーっと“お腹すいた”とお知らせしてくる。
心と体は別物。
生きることは食べる事。だから頑張って食事作って子供たちと食べました。
時には泣きながら食べました。
夜になると思う事。
それは双子1に対しての申し訳ない思い。
母の私が何を言っているのか理解できていなかったのに、無理に色々させようとしてきたこと。
しゃべれないからサイレンのような悲鳴で伝えているのに、それをうるさいと思ってしまった事。
双子2は出来ているのにと、一番比べちゃいけない相手と比べていた事。
どこに連れて行っても手が掛かるから辛いと腫れ物扱いしてた事。
全部全部ごめんね。
沢山沢山ごめんなさい。
2歳半の病院で。
私の住んでいる所は小児科は多いですが、発達障害などに詳しい小児科はとても少ないみたいです。
取りあえずネットで調べて一番近くのそういった相談に乗ってくれる小児科に行きました。
双子1を少し観察し、私たちにいくつかの質問をした後。
“自閉的、なのか、、、な。多動も少しかな、、、。”
と、はっきりとはおっしゃらずに、この先この子のキャラクターがどんなものなのかを3歳にかけてみていきましょう。と。
その後2,3回受診してもあいまいに流されたり、同じことを繰り返しおっしゃられることが多く、モヤモヤしていました。この先生で大丈夫か、、、、。
ではどうしよう。療育に通いつつ様子をみるか。3歳まで。
この時の私は発達障害について知らないことが多く、双子1に対して他の兄弟と同じ接し方をしていました。
物事を口で伝える。なるべく自分の事は自分で。
今思うとなんと無茶な、、、。
トイトレもそうでした。来年から幼稚園に行く気満々だったのでこの夏にオムツを外さないと、、、。と、8月から二人一気にトイトレを始めてしまいました。
発達障害のある子はトイトレも焦らずゆっくりと。と本で読みました。
トイトレが完了してから読みました、、、。
無理させてごめんね、双子1。
トイトレは、、、。悲劇の日々でした。笑。
我が家は長男の時、いきなりパンツのトイトレ方法でした。掃除が地獄でしたが短期集中で終わったので双子もそうしようと決めていました。
双子2は3回漏らした位でトイレに行って出来るようになりました。
双子1は3日経っても効果がみられなかったので4日目からは何も履かせずに様子をみました。1週間ほどで身に付いていき、10日過ぎにはウンチも成功しました。
トイレに行きたい時には手を引っ張るというクレーン現象で伝えてきました。
こうして夏休みも終わり、9月に入りました。双子が3歳を迎える月です。
この時発達障害について詳しく調べ始めて、私の中にこれだ。と思える障害がみつかりました。それについて書かれてある本を図書館で何冊か借りて旦那と読み始めました。
双子1歳~2歳半
双子が一歳を過ぎて少しした頃、長男が年少から通う幼稚園を決める時期がきました。
下の双子の事もあるし、経済的に公立。と、90%は決まっていました。
ただ、もしも公立に落ちた場合を考えて他に検討している私立幼稚園がありました。
結果、長男は今、その私立幼稚園に通っています。
のびのび幼稚園の一言では語れない、小学校に上がる前の幼少期に大事なこと。それを教えてくれ、一人一人を尊重してくれる幼稚園。決め手はそこでした。
来年から双子も通いますが本当にこの幼稚園にして良かったと思っています。詳しくはまた別に書きます。
1歳4ヶ月頃から双子2ははっきりとした単語を言い始めました。自己主張もすごい。ギャグも教えればやる。
もしかして被り物した長男??って疑うほど色々吸収していき、逆にわからないことは自ら主張し、教えてきました。
双子1は相変わらずお友達はおもちゃ。今思うと同じおもちゃを繰り返し繰り返し、彼なりのスタンスで遊んでいました。
1歳半検診。
双子1→身体測定以外なにも出来ず。
双子2→100点満点。
この時私は長男も遅かったしもう少し様子をみまーーーす!とか、言って。。。。お気楽でした。
2歳前の夏に事件は起こり始めました。
双子1がオムツでウンチをすると触り始めたんです。触って階段につける。触った手でキーボードを弾く、、、、。お家はウンチ臭くてたまりません。
何で触るのか。ウンチは触らないよ。と何度も言うが双子1には響かない。
何かがおかしい。
そんな日々が続き、絶対おかしいと旦那にメールしたのが2歳3ヶ月頃です。
私がそこまでいうなら何かあるかもしれない。そんな旦那の言葉を後押しに保健センターに相談の電話をしました。
専門の方との予約がいっぱいで取れたのが1ヶ月半後。
もやもや辛く大変な日々を過ごしながら迎えた面談で、療育というものを紹介されて、そのまま通うことになりました。
そんな療育に通う子供たちの中でも我が家の双子1は目立って変わりものでした。
だから気になり2歳半ごろ、病院を受診しました。
双子が生まれて~1歳まで
長男が1歳10か月の時に双子が生まれました。
恐怖の子育ての始まりです。
最初の頃はオムツ替えて授乳して、、、、。と、本当にそれしか覚えていません。
どうやって自分が眠りについて、何を食べていたのか全く覚えていない。
旦那の実家に半年近くお世話になっていたので、長男の事、双子の事、家事、色々と本当に助かりました。旦那の実家の皆さんは戦友だと思っています。
長男が2歳を過ぎるとイヤイヤ期が本格化し、それまで偏食だったにも関わらずさらに偏食に磨きがかかり食事をさせるのが大変でした。
何もかもいや。
食べることも拒否りはじめ顔がげっそりしていたのを覚えています。
栄養が気になり、フォローアップミルクを飲ませたりもしました。
一方双子2がこの頃、黄昏泣き?というものなのか、、、。午後7時~8時まで泣き続けるという現象が起きていました。2週間くらいかな?本当にその時間は何をしてもダメでひたすら抱っこ紐で揺れていました。
双子が3ヶ月を過ぎた辺りからプラレールの走る電車に興味を持ち始め、笑うことも増え、少し癒されるようになりました。4ヶ月に入り双子2がずりばいを始めたのには焦りました。早すぎる、、、。勘弁してくれ。と、、、。
双子が6ヶ月になる前、我が家の新居が完成し、家族5人での生活が始まりました。
朝、旦那が仕事に出る前になるべく掃除洗濯を終わらせ、いつ双子が泣いてもいいようにしていました。ご飯も一人をおんぶ、もう一人は歩行器に似た乗り物に乗せ大急ぎで作っていました。
でもやはり無理でした。
2歳過ぎた活発な長男を家でずっと見ているのには限界がきました。
と、いうことで、旦那の実家に日替わりで双子の一人を見てもらい、もう一人と長男とお出掛け出来るようになりました。
双子が9か月の頃、双子1が水疱瘡にかかりました。旦那の実家には私からみた祖父母も住んでいるのですが、おじいちゃんの方がそのころ帯状疱疹にかかっていました。まさか帯状疱疹から移るとは知らずにいつも通り預かってもらっていました。
そして移りました、、、。
それから予防接種をしていましたが、長男に移り双子2に移りました。
最悪な約1ヶ月半でした。一番最初にかかった双子1は今でも薄ーく跡が残っています。
双子1が11ヶ月に、双子2が10ヶ月に歩き始め、ご機嫌タイムも増えてきました。
双子2は10ヶ月の頃から長男に懐き始め、真似もするようになってきました。
双子1は常に一人で遊び、この後迎える壮絶後追い期までは本当に手がかかりませんでした。この頃、旦那と私は“双子1が双子2のようだったら大変だったね。”と、手の掛からなさをありがたく思っていました。
双子1が11ヶ月の頃から後追いが始まりました。双子2は8ヶ月位にたぶん2~3週間で終わったと思います。
ドアが閉まると泣く。柵を閉めると泣く。シャワーをこっそり浴びようとすると泣く。
まぁほんとに心臓に響く声量でサイレンみたいに泣くんです。夜寝るとき、そのサイレン泣きを耳が覚えていてなかなか眠りにつけなかったのを覚えています。
それが2歳半近くまで続きました。本当に本当に壮絶で何度も心が砕けそうになりました。長すぎました。
そんなサイレン泣きを、後追いがなくなった今でも双子1はします。
言葉が出ないので泣くしか出来ないんです。いやな気持ちをサイレンに乗せて発するしか出来ないのです。
生まれてから1年間、一人遊びが上手な手の掛からない子と思っていた双子1は発達障害でした。